不幸になるコツ「他人と比較すること」
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深刻な病気になるといろいろ気づくことがあります。
いや,わたしの場合,そんな病気にならないと身にしみてわからないことだらけ。
だからこその病気なのでしょうね。
人生,うまくできています。
もともと,私は大抵のことは楽観的に受け止めてきましたが,「死」を意識するほどの事態を強制的に突きつけられるとさすがにそうも言っていられません。
もっと前に人間ドックに行っておけばよかったとか,カラダを大事にしておけばよかったとか今更ながら後悔することが多々あります。
でも,それらは過去のことなのでどうしようもありませんし,ここはおとなしく諦める以外にありません。
では,前向きに生きるには未来を見ればいいのでしょうか?
しかし,未来に目を向けてみても,巨大な不幸の巣が顔を覗かせます。
それは「他人と比較すること」です。
健康で長生きしそうな人,家族そろって末永く暮らしそうな人たちや定年まで勤め上げられそうな人など,羨望の対象は数え切れません。
一方で,これまで私がいかにも自由に楽しそうに活動していたのをみて「いいなあ」「ズルいなあ」と思っていた人も多いかもしれません。
給料をもらいながら旅行して,好きなことができるなんて!と。
でも,私からすれば,そうなるにはソコソコの人生の賭けをしてきていたからだとひとこと言いたいのです。
会社をやめたり・不安定で低給な非常勤講師をやったり・宝くじのような公募で30回も祈られたり・1.8万円の激寒アパートに住んだり・辺境の地へ移住したりはたまた家族とバラバラになったり。。。
これはもう誰にもオススメでいるものではありません。
今,どえらい病気になり,私にとって1番羨ましく贅沢な状況は「家族団らんで子どもらの将来を語ること」。
だって,一年後どうなっているか分からないカラダです。
将来を語るのは鬼が笑うどころか,エンマ様も腹を抱えて爆笑する事態と言えるのでしょう。
実に様々な人生模様が織りなされるこの地球上で,自分の人生を自分が信じてあげられないことはトップクラスの親不孝ならぬ神様不幸。
人生は長いようで短いもの。
たまたま目についた他人の人生の一面を羨んでいる場合ではありません。
もし人を羨むのなら,その人の不幸や大変なことの一切を一抱えにしなければなりません。
つまるところ,人生にどんな局面が訪れても,それが最善の出来事と捉えるのがよさそうです。
そして,人を羨むことなくズルをしないでしっかり生き抜くこと。
(↑ ナギサ・ツグミ いいね?)
人は誰でも死にます。
途方もない数の細胞でできていますから,細胞で構成された生体現象はいずれ不調をきたしておかしなことになります。
この分厚い「家庭の医学」のどこかのページに掲載された病気で死にます。
もっと言えば,月火水木金土日のどれかの曜日で死にます。
いちいち目の前の出来事を不幸に思ったり,ズルをして相手を陥れたり悔しがらせたりして,相対的に自分を高めても惨めなだけ。
自分の人生を信じて生きれば,きっと間違いありません!
と,一ヶ月と10日ぶりに出雲国へ向かう飛行機の中にて。
1週間ほど出雲国大学にて勤務いたします。
もし夜間に同僚の教員と出くわしたら,イトーセンセイの霊が出た~!なんてなりそうです。
何度も何度も記事を読みました。
しっかり生き抜くという事。
明日もこの記事を読んで頑張りたいです。
わずか数回しかお会いしていないのに、こんなに響くのはなぜでしょうか。
毎日、伊藤先生が回復する事を願っています。
元気な伊藤先生に会える日を待っています。