共通意識
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16年前,インターネットを使いはじめた。
当時,インターネットはパソコン通信と比較され,ネットワークの仕組みや提供されるサービスにどの様な違いがあるかを論じるパソコン雑誌が珍しくなかった。
日本語で読めるコンテンツは,まだまだパソコン通信の方が圧倒的に多く,インターネットのサイトは「イエローページ(URL集)」に載せることができるほどのものであった。
それから少し経った1997年になると,地域プロバイダは隆盛を極め,私が住んでいた岩手県の盛岡市でもいくつものプロバイダが登場した。
1プロバイダで 1.5Mbit/s という回線速度であったと記憶する(これを数百人で分け合う!)。
今の携帯電話よりも遅い通信速度である。
インターネット利用者数は人口比でおよそ7%,その90% が男性であったとされる(参考)。
また,インターネットで提供されるサービスは,「わたしのホームページ」等の静的コンテンツがほとんどで,一部CGIが使われていたが,簡単な掲示板や乱数を使った占い程度のものだった。
回線速度やPCの性能・プラグイン機能を考えれば,今のようなインタラクティブでリッチなサイトは実現できない状況である。
さらに,日本でインターネット利用者数が急増し出した1996~7年当時の状況は,一部のマニアな人達が使うツールであり,老若男女が使うメディアではなかった。
多くのインターネット利用者はパソコン通信から流れてきた「移民」だったのではないかと思われる。
そのため,パソコン通信を使いこなしてきたユーザーであれば,いわゆる「ネチケット」はユーザーの共通意識として理解されていた。
まるで,アメリカ開拓時代の「自分の身は自分で守る」が当然のように徹底されていた時代のように。
同時に,メディアとしてのツールは電子メールかせいぜい掲示板程度であるから,インターネット上で大きなトラブルになる確率は小さいものであった。
インターネットの成り立ち上,人間の性善説をベースにしたものである。
そもそも不正を検知する仕組みは備えておらず,あくまでも利用者のモラルがものを言う世界である。
そして,今はどうなったか。
誰もがモバイルで高速回線を利用し,生まれた時からインターネットを使ってきたデジタルネイティブ世代が大学生になった現在。
共通の「ネチケット」を備えてインターネットを利用していた時代はもはや歴史的出来事となったようだ。
Twitter・mixi・Facebook・モバゲーなどなど,魅力的でインタラクティブなサービスが大きな渦となってユーザーを飲み込んでいくインターネットの世界。
インターネットという仕組みはすでに空気のように存在は意識されることなく利用され,共通意識はいつのまにか希薄になった。
今では法律がその代替となった(不正アクセス禁止法)。
一方,仮想的にプライベート空間を演出されたサービスの中で過ちを犯していくインターネット利用者が後を絶たない。
所詮,インターネットは共通意識が必要なメディアなのである。
共通意識のない社会に共存も共栄もないのである。
そして,それを忘れた人たちの過ちが繰り返される。
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