【個人的な考え】プログラミング教育って。
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私の所属する島根大学総合理工学部機械・電気電子工学科は、プログラミング教育を行う学科ではありませんが、やはり情報リテラシーとしてプログラミングの技術は必須と考えます。
世の中の仕組みの多くがコンピュータシステム化されている現在、その構造を何も知らないというのは問題でしょう。
ITでできることや限界を知らなければ、それを有効活用するのは困難ですから。
役所や小中高の情けないIT後進性は、管理職の知識&経験不足から。
元気のある会社の社長さんは、技術にくわしい人が多いものです。
イーロン・マスクは飛びぬけた例としても、テクノロジーを理解しないトップの組織に未来はないでしょう。
何だかんだで役所や学校が生き残っているのは、税金で無理やり維持しているからであって、今の状況が肯定されているわけではありません。
今の時代、社会に出れば、ある程度のプログラミングの知識がないと不都合があります。
アプリやシステムの発注もできませんから。
今や、どんな業種でもアプリの活用は必須です。
国や地方自治体などでは、そういった現場の知識を持つ人がいないので、ITベンダーのヨイショに乗せられて高くてベンダーロックされたシステムをつかまされてしまいます。
結果、税金が無駄になり、ベンダーの食い物にもなっています。
一方、小中学校のプログラミング教育で「論理的思考」なんていいますが、個人的にはわざわざ「なんちゃってプログラム」で鍛えなくてもいいと思うのです。
もっと野外に出て、自然やモノと直接触れ合って、その振る舞いや仕組みを体験的に知ることが大事です。
野外に出られなければ、ちょっとキケンな道具も自由に使って遊べばいい。
「プログラム」の技術なんて、後からついてくる小手先のものです。
泥まみれになって遊んだり、モノを作ったり、子ども同士で協力して作業することほど頭を使うことはありません。
実は、机の上の勉強はたいして頭を使いません。
予想外のことが起きず、予定調和の出来レース。
単純なルールの簡単なパズルみたいなもので、ほとんど自己満足。
いい料理人を育てるのに、料理器具や調味料の使い方だけに偏った教育では、効率的に見えますが片手落ちでしょう。
さまざまな食材を「体験」し、おいしい料理を食べる楽しい「経験」を通して、その結果として料理に興味を持つことが大事だと思うのです。
一見、非効率ですが、最終的にはいい料理人が生まれるはずです。
それと同じく、子どものころから小手先のプログラムをこねくり回しても、一部の子ども以外にはたいして面白いものとはなりません。
豊かな体験的な経験がなければ、プログラムで表現したいことなどないのです。
ひいては、生きたプログラムの知識にもなりません。
プログラムは自己表現のひとつであり、絵画や音楽と同じようなものと言えます。きっと、料理も自己表現、アート。
システム的なプログラムの知識なんて、大人になるとき、社会人として仕事で成果を出していこうと思ったときで十分。
高校生くらいになったときに、しっかり勉強したらいいでしょう。
その時、体験的な経験が多い人ほどぐーんと伸びるに違いありません。
で、何が言いたいのかというと。。。
子どもが学ぶべきものを、つまらない大人が勝手に管理しすぎ!ってこと。
せっかくの、柔軟な脳をもつ時期がもったいないなと思えてなりません。