【前編】「学校で勉強させたい!」重度障害児の親のキモチとツンデレ支援学校
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ここ5年くらい,養護学校・支援学校やその教員との関わりが多くなっています。
特に,視線入力アプリEyeMoTをローンチしてからはそうで,支援学校で教諭が行う授業との接点も増えています。
実にすばらしい活動をしている教員のみなさんも多く,私自身お世話になっている方がたくさんいます。ここのダウンロードページには,そんな教員のみなさんの報告書などを多数掲載しています。
また,EyeMoTの仕様の60%は教員からのアドバイスを参考にしていますし,試作段階では実際に学校で使ってもらい,フィードバックをもらっています。
全国で行う講演などでもよくお会いし,勉強になるお話をいつもたのしく頂戴しています。
一方で,ローンチしてすぐの時期,私は「あれ?EyeMoTで遊んで授業の時間を埋めてるだけ??」という,残念な事態を何度も目にしました。
訓練・練習や学習という要素よりも,ただ時間を埋めておきたいという使い方を目撃してしまったのです。
これを読んでいる人の中には「いや,そう見えてもしっかり取り組んでいるのでは?」と思う人もいるでしょうけど,無言で何となしに,できていてもいなくてもそれでいいといった雰囲気からは,とうてい授業という公的サービスには思えないものでした。
5年経っいま,それは当たっていたのだと確信しています。
さらに,親がICT活用の要望を出していても「予算が取れたらやってみましょうか」と言ったわりには,のらりくらりと一向に取り組みを進めなかったり「私はパソコンが苦手~」と,サボタージュする教員が実に多いことかと,怒りに震えた夜が何度もありました。
世の中では支援学校のことなど,まったくと言っていいほど興味関心を持たれていません。校舎自体が郊外にあるし,身近に通学している人もいないか気づかないのが普通。もしいても,ウワサ程度で実態はわかりません。
また,支援学校の教員が,小中高校と同じような「教諭」であることに驚く人もいるのではないでしょうか。やはり関心がないことは知りませんし,知ろうとはしません。
同様に,私の出張時「島根大学の伊藤」とあいさつしているのに「鳥取からお疲れさまです」というのはよくあります。意外にも,高専の教員が「教授」や「准教授」というのを知らないのも同じかもしれません。
まして,普通の市民が,支援学校でどんな「授業」が行われているなんて,想像さえしたことが無いはずです。
では,なぜ私はしつこいほどに支援学校の授業に関心を持つのでしょうか。
まずは,大学の研究や活動として,ICTを活用した重度障害者や子どもの支援をフィールドにしていることが大きな理由です。ただ,それだけでしたら,支援学校の内部のことなど,関心を持つ必然性はそれほどありません。
研究でしたら,データが取れればいいわけですからね。学校ともめず協力できればそれでよし,データを取った後のフォローが無いのもアルアルでしょう。
私には,今から遡ること20年前,大学生のころに参加していた障害児と遊ぶボランティアサークルで,支援学校ではドエライことが起きているという,上記を思い起こさせる原体験がいくつもあったのです。
あ,当時は養護学校と言っていましたね。
それは概ね以下のようなものでした。
障害児の親や生徒(卒業生含む)からのお話
- 遊んでばっかりで勉強しない
- 勉強を教えてくれない/授業が勉強じゃない
- 先生のレベルが低い
- 校則はきびしいのに授業はあまい
- 宿題がない
- 理解の低い子に合わせた授業なので物足りない
- 授業少なくてイベントの練習ばかりが多い
- 就職が作業所ばかりで実習がつまらない
- クラスメートが少なくてつまらない
- 赤ちゃん向けのビデオを見たり歌を歌ってばかりいる
- 先生が私(生徒)をバカにしてくる
- 大学を受験させてくれない/受験を諦めさせようとする
- 教科書がめくれない
- 宿題が紙だから自分で書けない
なんと!20年経っても改善されていないようです。
私としては,積極的に支援学校や教員の授業に関して後ろ向きなことを言いたくありません。性格悪いと思われたり,学校に出入りできなくなったり,教員のみなさんには恨まれるしで,まるでいいことなんてありませんから。
しかし!親のみなさんが体験してきた子どもを全否定されたような悔しさを考えれば,第三者の私であっても,何か動くべきなのではないかと思ったのです。
支援学校はおそろしく小さな世界です。
たとえ,ひとりでも教員に嫌われたら子どもの扱いがどうなるのか不安です。だから,親のみなさんは尊敬の念などなくても「先生」と呼びます。ちがいますか。
悲しいことに「先生」たちはそれに足る知識と経験がなくとも「先生」と呼ばれることで,それに安住しているのではないでしょうか。
親に「さん」と呼ばれてムッとするようでしたら,私の邪推は当たっているのでしょう。いかがでしょうか。
私はわかります。自分の(やばい)病気のために通院した時,主治医にはいつだって低姿勢になります。
まして,主治医への不満などは思ってても言えません。その後の扱いが怖いからです。
私の20年来の友人である板倉ミサヲさんが71歳にして支援学校に入学したときもそうでした。以下のできごとは,6年間の通学した卒業後にようやく公表できたのです。
- 【前編】とある支援学校による上肢不自由生徒への「神宿題」、これでいいの? (2019年7月21日)
- 【後編】とある支援学校による上肢不自由生徒への「神宿題」、これでいいの? (2019年7月21日)
もちろん,冒頭に書いたように,人間性も授業の取り組みもすばらしい教員もいました。ミサヲさんの担任にも。
それだけは誤解のないようにお伝えしなければなりません!
さて,後編の(2 of 2)では,以下のFacebookエントリーに寄せられた,障害児の親の嘆きを抜粋して紹介します。
親からのコメントがほとんどしたのでニュートラルでは無いかもしれません。
それでも,自分の実名を出してわざわざウソを書く必然性はありませんから,おおむね信用に足る情報とみなしていいでしょう。
思いの外,たくさんの書き込みがありました。
これは放置できない社会問題,いや人権侵害とでも言える深刻な事態なのです。
(参考)
「miyasukuプロジェクト」の方々が厚生労働省に「重度障害者用意思伝達装置等ICT機器活用事例報告並びに 補装具費支給制度に関する要望及びICT機器の活用促進のための検討について」と題した要望書を提出しました。
私も少し寄稿しました。以下に,それを引用します。
『子どもたちの可能性の「芽」を育ててあげてください』
子どもは国の宝です。どんな子どもにも可能性があります。それは重度障害児であっても。たいへん重い障害を抱えていても,いまあるテクノロジーを積極的に活用することで意思表出ができますし,さらには個性を発揮することさえも可能になります。
世界的な宇宙物理学者であった故ホーキング博士は,人工呼吸器を付けた重度障害者でありながら,目尻に取り付けた小さなスイッチとタブレットパソコンを使って,コミュニケーションのみならず研究をはじめ大学の講義などを支えてきました。彼の輝かしい人生を崩壊させるのは簡単です。スイッチひとつを奪うだけで十分なのです。
現在,ALSなど成人の重度障害者に対しては,「重度障害者用意思伝達装置」として給付が進んでいます。ALS患者さんの多くは社会人経験があり,初期においては認知面の問題はなく,機器操作のみに困難のある方がほとんどです。そのため,意思伝達装置の支給基準を満たすことは難しくありません。意思伝達装置の支給により,実に多くのALS患者さんたちがコミュニケーションの回復を実現し,社会復帰を果たしています。
あるALS患者さんは「それ(意思伝達装置)があるから生きていける。」といいます。国として,こういった装置を積極的に給付しているの事実はたいへん素晴らしいことです。
一方,児童の場合はどうでしょう。特に未就学児の場合は,スイッチ等の利用を開始しておらず,また,ひらがなは未習のことが多いため,意思伝達装置の審査基準を満たさないケースがほとんどです。重度障害児の親は家事や医療的ケアで忙しく,経済的にも余裕のある人は少ないのが現状です。生活するだけでもギリギリの状態ですから,支援機器等の導入にまで手が回らないのです。仮に,支援機器の導入が子どもの将来を強力にサポートしてくれるとしても。
どうか,意思伝達装置をはじめ,子どもが使える支援機器の支給条件について目を向けてみてください。今なら間に合います。世界に先立って,重度障害児が人として生きることのできる社会を創ることができます。すでに,その前例はたくさんあります。ただし,国の支給制度を頼りにせず,孤軍奮闘してきた親たちだけが実現した結果であることは指摘しなければなりません。
もし,国の支給制度が成人のみではなく子ども向けに改善されれば,どれだけの子どもや親が救われるでしょう。今一度,制度の改善の再考を望みます。子どもたちは日々成長してきます。つまり,できるだけ早い改善が望まれます。
島根大学総合理科工学研究科 伊藤史人
https://www.poran.net/ito/archives/16785
これに関連して,2020年2月5日には自民党本部にて勉強会が開催されました。
文科省の特別支援教育の課長も来ていましたので,ほんの少しでも声が届いていればいいのですが。