この期におよんで「私、ICTが苦手なの~」といいますか?
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重度障害者にかかわる支援学校教員やコメディカルが「私、ICTがニガテなの~」というのは,もはや体のいいサボタージュです。もっと言えば,その不利益・機会損失を考えれば人権侵害・職務放棄と言ってもいいくらいです。
たとえば,医師が患者を目の前にして,患者の病気が確実に改善する薬が発売されているのに「この薬よくわらないから,あなたには使いません。すごく効くらしいけどね!」というのと同じです。
安全を考えて使わない?いえ,違います。
目の前に当事者の生活を確実に改善するモノがあってもそれを与えない,もしくは使える状態で与えないのはまるで「狐と鶴のご馳走」です。そんな状態が,養護学校・支援学校や療養病院でたくさん起きているように思えてなりません。
重度障害者支援において,支援機器(テクノロジー)はかかせません。
人間は常に道具とともに進化してきており,障害者ほど道具が必要なのはごく当たり前のこと。もちろん,人間がサイコーの支援ツールとなりますが,再現性や継続性の観点に立てば支援機器はたいへんな有益な効果をもたらします。それはすでに証明済みであり,その例は枚挙に暇がありません。
それをアッケラカンと「私,ICTがニガテなの~」と他人事のように話す支援者(教員・コメディカルなど)が実に多いのに驚きます。私は,部外者でありながら,そのような状態にたいへんな危機感を覚えずにはいられません。
あの世界的な宇宙物理学者のホーキング博士とて,支援機器がなかったらただの知的な難病患者さんに過ぎなかったでしょう。あの意思伝達装置があるからこそ,第一線の研究者たらしめているのです。支援機器の効果は明らか。
そこまで飛び抜けた才能を支援するものでなくても,情報を取り込んだり意思を伝えるのに支援機器が必要な人はゴマンといます。一方,その恩恵を得られずに亡くなった人も数知れずいるいることでしょう。
私たちの身の回りをみても,以下の支援分野では支援機器(アプリケーション含む)なくしては成り立ちません。
- コミュニケーション支援
- 意思伝達装置・PCやタブレットのユーザー補助機能など
- 視線入力装置・生体電位計測装置 など
- 知覚機能の支援
- 補聴器・難聴者用スピーカー など
- 点字ディスプレイ・スクリーンリーダー など
- 移動の支援
- 電動車いす・パワーアシストなど
- 学習の支援
- 各種アプリケーション など
このように実にたくさんの支援機器がありますが,障害というのは個別性が強いものであり,他の当事者と同じように支援機器を適用できるわけではありません。そのため,支援者に負担が大きくのしかかります。
かと言って「よくわからない」「忙しい」「キケンでは?」を理由に,人生に有効な道具を適用しない理由にはならないでしょう。支援者は,当事者のさまざまなカタチで支援を行うことで給料をもらっているわけですし,それが唯一といっていいほどの存在理由だからです。「私、ICTがニガテなの~」を理由に支援をサボタージュするのは職務放棄であり,言い切ってしまえば当事者に対する人権侵害です。
支援機器なんかはしょせん人間がつくったもの。基本的には使いやすいようにできているので,支援者がきちんと学んで経験をつめば,当事者に適用できるようになるのです。
ここに,SMA1型の陽菜さんの例を挙げます。かつて,陽菜さんがまだ小さい時,専門職の方から「きっとコミュニケーションは取れるようにはならないだろう」と言われたそうです。
しかし,お母さんの信念や多くの方の支援があり,今ではたったひとつのスイッチでいくつも機器を使いこなしています。誰かが諦めていたら,今の陽菜さんはなかったでしょう。
次のブログでは,支援者(教員・コメディカル)が個別の支援をするにあたり,「平等」をタテにしてサボタージュする問題を取り上げます。
はい,もう嫌われる覚悟で!
教員にしてもコメディカルにしても、養成機関で支援機器の重要性や効果についてきちんと学ぶようなカリキュラムが組まれることも必要ですね。
目指すところは障がい当事者の社会参加なのですから、過去から現在までの成果が十分でないとしたら、新たな取り組みが必要なはずです。
もちろん現職で学ぶことも大切なのですが、現状では自信をもって取り組めるほど、継続的に学ぶ機会は少ないです。ただ、それを必要とする当事者に寄り添うことで、学ぶことはできるはずだと思いますが。
まずは身近なところから、その試みを続けてみるとよさそうです。
大いに頷ける内容でした。
自分のような立場の者が少しずつ広げていく努力をしたいと思います。
さりげなく、でも、戦略的に行きたいと思います。
EyeMot でA 君に自信がつき、更に夢が広がってきています。
周りにももっともっとEyeMotを広げたいと思います。
伊藤先生、もっともっと大きく旗を振り続けてください。その旗を目指して付いて行きますよ。
まだ、ICTが障害をもつ子供達の中で、どのくらいの子供が必要としているか、有効で大切なのか、浸透していないから、そういった発言が見られるのかなと思います。
人は変わることを怖れたり、面倒に感じたりします。教師といっても例外ではないでしょう。これまでのアプローチに頼ろうとします。数年前の特総研の講演で、中邑先生が10年後に同じことをしていたら仕事はないですよ、とおっしゃっていたのを思い出します。
子供達の将来を変えるには、教師が変わらなければ…ですね。
実績をあげなくても給料がもらえますからね。
緊張感がありません。