人生はパラレルワールド
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東日本大震災から6年。
毎年三陸方面には行きます。
今年は妻やムスメらと一緒に行き,人生をより立体的に感じることができました。
もしかしたら,今頃私は独身道まっしぐらだったのかもしれません。
そして,この子らはいなかったのです。
まさにパラレルワールド。
「君の名は。」のできごとはリアルワールドでも起きていたのかもしれません。
当時,付き合いは長かったものの,入籍したばかりの妻が勤務していた普代村は普代小学校。
建設途中のまま無残にも放置された高速道路の高架橋を仰ぎ見る小学校,海岸まで200mくらい。
周辺にはお店どころか民家もありません。
それもそのはず,この小学校は,あろうことか市街地を守る堤防の「外」にあるのでした。
海との間にあるのは水門のみという立地。
震災前は半ば冗談で「完全に見捨てられてるねえ」と笑い話にしていましたが,この度の津波被害を考えるとほんとうは冗談では済まなかったわけです。
事実,普代村の南北にある田野畑と野田は,街の中心部をほぼ失うという被害を受けました。
「まさかここまでか!」とうくらいの高台まで襲った津波。
そのサイズ感は実際に見ないとわからないものです。
当然,普代村にもそれに匹敵する津波がやってきました。
堤防の外にある普代小学校は津波に飲まれてもおかしくはありません。
しかし,まさかの水門が奇跡を起こしてくれました。
この水門(15.5m)がなかったら,市街地を守る堤防(10.0m)は簡単に乗り越えて,堤防の中に避難していた妻はそのまま波に飲まれたに違いありません。
そうでなくても,普段の通勤路のほとんどは津波で飲まれていますから,どこかで被害に合っていてもおかしくはありません。
当日,私はといえば,出張先の盛岡で被災し,停電のためにニュースが聞けませんでした。
どんな被害状況かを知ることさえできなかったので,心配することもなかったのですが,今更ながらギリギリの運命だったのだと気付かされます。
反対を押し切って水門を作ってくれた村長には未来が見えていたのでしょう。
私のムスメの名前にはふたりとも海に関連する文字を使っています。
大きく成長したら,またこの海に行きたいものです。
(拒否られなかったらね)