【教育分野も】知識や技術の民主化~ICT活用の例から~
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インターネットが非研究者にも使われるようになって約30年。普通の人々の生活も大きく変えてきました。情報検索にはじまり、モノの購入や人同士の交流スタイルなど、枚挙に暇がありません。
さまざまな分野の専門家と非専門家の垣根がずいぶんと低くなったのも、インターネットがもたらした現象です。知識や技術はどんどん民主化され、たいていの知識は誰にでも手に入れられる世の中になりました。
インターネット普及前は、知識や技術を得るには足を使って学びに行き、労力とコストが嵩むものでした。今では、一流大学の講義さえも無料で受講でき、スポーツや料理など趣味になることの多い分野の知識も、その分野の一流の人から学ぶことができます。しかも無料で。
技術という面では、知識だけではどうにもならない部分もありますが、それでも、独力でカバーできる範囲がとてつもなく広がったのは確か。さらには、自ら発信も可能なので、インターネット普及前とはまったく比べられない便利環境にアクセスできる世界になりました。
50年前からしたら、立派なSFの世界に生きているようなものです。車は浮いて走ってはいませんが。
そんな世界になった今、「専門家」の立場は危うくなっているのかもしれません。知識は、非専門家でも専門家同等に得られるようになったからです。少なくとも低ランクの専門家よりも、学習スキルの高い非専門家の方が「よくわかっている」事実は少なくないように思います。
知識の垣根が異様に低くなった今、昔のように専門家は威張っていられなくなったのは間違いありません。
一方で、その事実をうまく使えば、専門家だけの活動にも非専門家が関わることも可能になりました。法律で独占が認められている業務は別ですが、それ以外のことなら問題なし。
最近私が関わっている、教育・障害福祉分野のICT活用なんてのはまさにそう。もともと資格なんか必要な分野ではありません。マニアックな教諭たちがPCや電子基板をゴニョゴニョして、エラそうにしていたり、「詳しい人」になっていたわけです。
技術面では専門家から見るとショボいし、インターネットがある今、少し時間をかけてインプットにチカラを入れれば「詳しい人」くらいにはなれます。気合を入れて学べば、「専門家」を超えることもあるでしょう。
たとえば、障害児の保護者なら、教諭(専門家)にはない「生きた現場(家庭)」があります。その環境を活用すれば、ある部分では教諭よりもより実践的なスキルを獲得でき、他の人々にも有用な知識や技術に落とし込むことも可能です。
実際、わたしたちが開発している重度障害児支援システムEyeMoTの普及現場では、ママさんたちによる革命が起きはじめています。自主的にイベントに企画、訪問サポートや講演活動など、教諭がやるべきこともママさんたちが自ら身を挺して実行しています。専門家レベルの活動内容といえるものです。
誤解を恐れずに言えば、たいていの支援学校教諭よりも、障害児をもつママさんたちの方がICT活用スキルが高いことが珍しくありません。そのスキルと、教諭よりも柔軟なアクティビティで仲間を増やして、知識や経験をどんどん共有していくので、それらのアップデートも早いのが特徴です。
何しろ、自分の子どもに関わることですから本気度が違います。ママさんたちのつながりも強いものがあります。「次の学期から」「予算がついてから」などとは言っていられないのです。「研究授業」という古典的で遅く狭い活動では、教諭たちの自己満足に終わりかねません。
ママさんたちは、SNS等の現代的な方法を活用して、広く必要な人にすばやく届けるようになってきました。
これも、知識や技術の民主化の一端でしょう。
学校では、教諭が勉強会を開きつつその輪を広げて、年単位で予算を待ちながらICT活用を進めています。安定的な給与を得て、立派な設備(校舎)が使える教諭たちと危機感が共有できれば、ママさんたちも一安心なのでしょうが。。。GIGAスクール後も、基本的なスタンスは変わらないように見えます。
ママさんたちはそれでは遅すぎるし、不確実すぎるのです。もっと早く、確実に知識や技術を得て、自分やコミュニティの子どもたちのために活かしたいはずですが、現状のままでは、学校という仕組みに頼ることができず、ママさんたちが動くしかない状況ともいえるでしょう。
このままでいいわけはありませんが、教諭(専門家)が非専門家(保護者)の逆転現象が目につくようになれば、専門家の不要論なんかも出てくるかもしれませんね。
教育界の革命が起きれば、特別支援学校がほとんど無くなるなんてことが起きやしないかと、ワタクシは本気でそう思っているのです。