互換性
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昨今の与党と野党の非難の応酬は見るに堪えない惨状である。
野党はただひたすらに与党のアラを探して政局にし,何が何でも引きずり降ろそうとしている。
相手の足を引っ張る行為は相対的には自分を上位にするが,絶対的には両者とも下位へと落ち込ませてしまう結果となる。
実は,これは今に始まったことではなく,もはや日本民族の特性と言ってよいものかも知れない。
私は,この現象を戦時中の工業製の互換性の無さにみる。
戦時中,武器の多くは高度な機械製品のかたまりとなっていった。
機械は当然ながら要素として機械部品が必要である。
機械を構成する部品の中には,異なる機械間で融通が可能な場合もあり,それを部品の互換性という。
現在,ネジをはじめとして,エンジンのガスケットまでさまざまな機械部品が互換性を持っている。
当時,日本はその互換性に極めて脆弱な機械を量産していた。
一方,アメリカはメーカーが異なっても部品の互換性の高い機械を生み出していた。
戦場において傷ついた武器は常に部品の交換が必要になり,互換性の低い機械は自ずと稼働率が低くなる。
武器が稼働しない軍隊はもやは戦闘集団ではない。
その結果,負ける。
では,なぜ互換性のない機械が大量に生まれてしまったのか。
それは,メーカー間の無用な争いが原因となっていたからである。
自分たちだけがもっとも繁栄しようと,あえて他のメーカーの機械との共用部品を無くしたからである。
自分たちだけが勝ち残ろうと,わざわざ行っていたのである。
これでは,現場の兵隊たちはたまらない。
結果的には,日本の軍隊そのものの戦力が維持できなくなり,連合軍に圧倒されることとなった。
もちろん,戦力は数の理論があてあまる。
しかし,最前線においては両軍遭遇時には同等の戦力であっても,徐々に武器の稼働率の問題などから差が開いていく。
たった一つの部品が足りないだけで飛行機が動かないこともある。
それだけ互換性は重要なのである。
その互換性の無さはメーカー間の争いが生み出した,負の設計思想からのものであった。
政局が起きれば起きるほど日本の力は落ちていくのではないかと,戦時中に機械の互換性をあえて壊したメーカー間の愚かな争いを連想してしまう。
そして,日本が荒廃した歴史と重なって見えてしまうのである。