【特別支援教育系ICT】いつまでも「受講者」であるべからず。
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私のような特別支援教育分野の部外者であっても、ICTに関わるものについて講師役を引き受けることがあります。
いつも違和感があるのは、オンライン・対面問わず「リピーター」の多さ。
もはや、自己啓発セミナー化している感さえあります。
私の知る限り、特別支援教育分野におけるICT関連の知識は、普通の高校を出ていれば十分に理解できる程度の難易度でしょう。
中学生でも理解できるレベルですし、SMAの子などは小学生でもつかいこなしているわけです。
なにしろ、Windows や iOS / Android のアクセシビリティ機能は、製品として使いやすく設計しているし、ドキュメントもそれなりにあります。
視線入力についても、今となってはさまざまな情報があり、その他ツール的なものも、設計段階で使いやすくしています。
たしかに、新しい知識を学ぶ最初の段階においては、人の話を聞くことで得られるものは多いものかもしれません。
キックスタートになり、効率もいいですし。
一方で、個別性の強い支援技術については、いわゆるセミナーや講座をたくさん受講したところで効果は薄いでしょう。
問題は、同じようなセミナーや講座を数年に渡り何度も受けているケースです。
たとえば、「意思伝達装置入門」「タブレット操作入門」「視線入力入門」「iOSのスイッチコントロール入門」「特別支援教育のICT入門」的なものです。
セミナータイトルはそれぞれですが、「入門」系はそれぞれ1回でいいのです。
「この講師の話を聞きたい!」が最優先になってくると、内容は二の次であることは自明。
一見、個人の自由なのだから、他人がとやかく言う必要はないと考えられるかもしれません。
でも、私はそうではないと明確に否定できます。
なぜなら、知識や経験というのは引き継いで、共有してこそ全体の発展が見込めるからです。
特別支援教育におけるICT関連の講師は、正直なところいつも同じような人がやってます。
本来は、セミナーを受けてさらに現場で経験を積んだ人は、どんどん講師になるべきなのです。
教諭という仕事である人に限らず、ママさんやボランティアさんも同様。
いつまでも「受講者」として自己啓発的に受講している場合ではありません。
この分野がずっと低迷し、知識が現場に行き渡らないのは、「受講者」がいつまでも「受講者」であり続けてしまっているからではないでしょうか。
聞くだけの立場は気楽で楽しいですし、わかった気になるのは中毒性さえあるもの。
特に大人になってからは。
会社でも2年もすれば仕事を覚えて、後輩にレクチャーすることが期待されます。
逆にいつまでも新人気分でいられたら、会社はやっていけません。
つぶれます。
いつまでも特定の人からの一方通行な情報分配の形態では、もはや信仰宗教と変わりありません。
生物は親が子を生み、その子もいずれ子を生み、その連鎖が種を繁栄させます。
知識や経験も同じような側面があります。
先輩から得た知識と自分が獲得した経験を咀嚼して、積極的に他の人に提供し共有することで全体の発展が見込めます。
いつも「受講生」ばかりを演じてきた方は、少しの勇気を持って、自分の経験を織り交ぜて、身近な人にレクチャーしてみてはどうでしょうか。
教えることは学ぶことでもあります。
特別支援教育のICT関連知識なんて、難しいことはひとつもありませんから。
料理だって、基礎を学べばレパートリーをどんどん増やすことができます。
数年に渡って、何度も何度も酢豚の作り方を学ぶ必要などありません。
たぶん、1回でいい。
料理は自分のためだけに作って食べてもつまらないもので、愛する人たちに作って「おいしい」と言って食べてもらうことが最大の喜びにつながります。
その経験が、料理の腕の向上にもつながるのでしょう。
この「ICT」分野についてもきっとそう。
先人から知識を得たら現場で知識を生かして、その経験を人に伝えてこそ本当の学びとなります。
その連鎖がこそが分野全体の発展をもたらし、めぐりめぐって自分の喜びにもつながると思うのです。