重度障害者、「生産性」にまったく寄与せず!
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重度障害者なんて高度な「生産性」が求められるこの現代社会において,まったく役にたたないお荷物だ!
表向きはともかく,実際には多くの人がこんな風に思っていることでしょう。
「重度障害者を支援するなんて自己満足だ!」
「仕事だから仕方なくヘルパーとして支援しているけど~」
「実は障害児に可能性は感じないけど,そこそこ給料もらえるから支援学校の教諭やってる。。。」
「障害者が年金もらうなんてズルいよな~」
「自分が重い障害を負うくらいなら死んだほうがマシ!」
なんて方々が少なくないのが現実かと思います。
それに対する私の回答はこれです。
重度障害者に関わるみなさんはどうお思いですか?
一番嫌なのは、障がい者として生まれた人間であることです。行政の支援が不十分であり、家族や職場で理解されず、ずっとお邪魔者や出来損ないとして扱われた人々が、この程度の言葉で共感できると思いますか?
現状を変えるためには、あなたが神にでもならない限り解決できない
私はあなたの共感を求めていません。
私の中での理由なのです。
ここに書き込む労力を別にことに使ってください。
重度ではありませんが、障害者です。
津久井やまゆり園とかいう障害者殺傷事件があって、僕はしばらく怖いような嫌な気持ちになりました。
僕も施設やグループホームへ行ったら、殺されると思ったからです。
本音と建前という言葉があるように、表向きは建前で言っていても、本音はひどいものも多々あると思います。
津久井やまゆり園での事件後、犯人に同情する書き込みも複数ありました。
そんな書き込みも、ある意味、健常者や定型発達の方々が書いてる”本音”だと思っています。
障害者がいることで、改善点を可視化してくれるのは、その通りだと思います。
障害者として生きている・生きていた先輩方がいたからこそ、あとに続く障害者もバリアフリー化された場所を利用し、点字や手話などで意思疎通を取ることもできます。
ですが、障害者の僕としては複雑な気持ちも無いわけじゃないのです。
必要とされたい、誰かの役に立ちたいとは思いませんが
障害者に対して、誹謗中傷や差別的な書き込み
日本国内で障害者に対するいろんなことを見ていて、障害者としてもそうですが
生きづらさや息苦しさというようなものを感じます。
国や地域にもよるかもしれませんが、行政の支援が不十分なだけじゃなく
障害者と健常者を分けるような教育が、障害者の孤立を深めるような気もしてならないです。
全ての障害者が、健常者と共に、同じ環境で教育を受けることが合うとまでは思いません。
しかし、インクルーシブ教育というものがあるように
「障害者が居て当たり前だよね」と言える、国になるのが望ましいのではないでしょうか。
現状ではまだまだ無理だと思うので、あくまで理想敵な感じですが
障害者に対して、理解を持つ方が増えればと感じます。
僕は過去に障害者に対して、理解を容易に示さなかった教師から教育を受けた事があり
そのことは、忘れることがないでしょう。
馬鹿ばっかりの障害者に生きる価値は無いです
馬鹿がいるのは健常者も障害者も同じです。
津久井やまゆり園殺傷した人の気持ちは
わからなくもない
よくやった
ここちゃんさんも、ちょっと事故や病期にあえば障害者になりますよ。