【Vol.02 滋賀県】ふみふみ、47都道府県を勝手に語る。
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1990年初頭の高校時代(東京)から本格的に青春18きっぷ旅行をはじめて,大学時代(岩手)にかけてフラフラと全国を回りました。30代半ばから大学教員(東京・島根)となり,その放浪グセが再発。まるで寅さんのような状態になりました。高校から今までに至る経験をもとに,全国47都道府県を勝手に語ります。
「大垣夜行」による,早朝の岐阜県大垣駅から滋賀県米原駅へのルート。
東京から青春18きっぷ旅行をするにあたっての定番中の定番だ。
「まいばら」を通じて,人生で初めて滋賀県を意識した。
不勉強で旅慣れていない高校のクラスメイトは,米原を「よねはら」と読んでいた。密かに「おれはこいつよりは日本を知っている!」という自負が持てたのを思い出す。
いやしかし,桃太郎電鉄をやりこんでいる者なら,ターミナル駅である米原は有名ではあったが。
さて,現在は「ムーンライトながら」として運行されているかつての「大垣夜行」。東京から関西方面に出るにはサイコーの列車であった。
青春18きっぷは丸一日普通列車が乗り放題になるきっぷであるが,朝6時発などの始発列車を使っては最初の6時間分が無駄である。
普通夜行列車「大垣夜行」の出発は23時45分ころであり,約15分で走る分のきっぷを購入しておけば,青春18きっぷを00時00分から利用できることになる。
これはもうサイコーのコスパを実現する手法として青春18トラベラーに知られていた。
ただ,1990年初頭は指定席はなく,しかも,機関車時代を思わせる直角の硬い座席だったため,長時間の乗車は大変な身体的苦痛を伴うものでもあった。
車内といえば,老若男女問わず通路や足元に人が転がっている状態で,バブルの余韻残る日本において大変めずらしい状況が見れらたのである。
ひたすら暗闇の中を走り続ける続けると,夏休みの時期などでは愛知県東部に入ったくらいで夜が明けだしてくる。三河安城駅あたりではもうすっかり明るくなって,朝霧の中に美濃の街をみるのだ。
乗客が思い思いの朝を迎える中でいよいよ大垣駅到着。
そこから米原行きの列車へ乗り換えのダッシュ!
静かな朝の大垣駅で,携帯版の時刻表を片手にしたトラベラーがホームと階段を駆ける。
乗車してしまえば,関ヶ原を越えて一時間足らずで滋賀県は米原駅到着。
が,ターミナル駅といえどもここに何があるわけでもない。
北に向かえば京丹後地方や北陸へ。
南に向かえば京都や大阪だ。
私の場合,ある時は彦根へ,ある時は京都方面へ向かった。なぜだか,北陸本線で北上したことはない。
少年の私にとって,京丹波という渋めのエリアよりも京都や大阪の方に強く惹かれたのであろう。
ある時は,米原駅の隣駅である彦根駅で降りた。彦根といえば彦根城だし,彦根城と琵琶湖のセットは有名である。
彦根駅から琵琶湖までの距離は,駅備え付けの地図ではえらく近く見えた。気軽に琵琶湖へ向けて歩きだしたが,彦根城は向こうに見えるものの,大きな水たまりは一向に見えてこない。
今ならスマホで経路を探索できるが,当時はそこらにある「デフォルメされた地図」が重要な地図の情報源だった。観光地にあるイラスト風味の地図は,大抵の場合距離情報は正しく表現されておらず,こいつを信じると徒歩の時は大変な目に合うのは必至だ。
ではあるが,途中彦根城をゆっくり拝めたり,見慣れない作りの民家や古い水路,時折聞こえてくる方言などが旅をしているという気持ちを高めてくれた。
今では琵琶湖というと,時速900kmの飛行機で一気に通り過ぎてしまうものとなってしまったが,このときの私は時速4kmでフラフラと歩いた。
一度地上を舐めるように歩いたことがあれば,上空8000mから眺めようとも見下ろしているその土地の雰囲気を想像することができるというもの。
そうして空の旅を楽しんでいる。
滋賀県出身の友人は決って自分を関西人としてカテゴライズしているが,大阪や京都の人からするとどうも違うらしい。
そういうものなのだろうか。
京都駅からほんの20分で滋賀県大津駅。
仲間でいいじゃないか。