あの日(前編)。
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現在、2011年4月6日23時。
あの日から早4週間。
生き残ったすべての人に「あの日」は深く刻まれている。
2011年3月11日、日本の歴史にも深く刻まれる日となった。
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私の「あの日」のあの瞬間は、盛岡郊外にある矢巾町の産業技術短期大学校にて、教え子たちにしばし会い別れたところであった。
11日は卒様式であり、最後に会っておきたいために学校に寄ったのだった。
別れた後は、車に乗り込み、勤務先の大学の事務員さんに電話連絡をしていた。
気づけば車内で異様な揺れ。
目の前の4階建ての鉄筋コンクリートの校舎がユサユサと目で見て分かる程に揺れている。
車内はまるで荒れた道を走行しているかのような激しい揺れ。
振幅は大きくそして深い。
あらゆる角度方向に体が揺すられた。
数分は続いたであろう。
電話先の東京では、こちらが揺れ出したときはまだ揺れていない。
この揺れ方から、震源は東北か近いところということが分かった。
数十秒から1分程度後か、直に東京も揺れだしたようであった。
双方の安全のため電話を切った。
矢巾の大学の周辺は、東北新幹線の高架がある以外はほとんどが田んぼである。
そのため、田んぼを見渡す限りは地震を感じさせるものは何もない。
唯一、ハクチョウたちはいつもより騒々しい。
近くの高校生は、揺れながらも農道をジョギングしている。
まったくのどかなものであった。
車内でラジオ付けると、こちらの状況とはまったく世界を異にした放送が飛び交っていた。
(後編に続く)