Archive for the ‘ブログ’ Category

喜びの坂

金曜日, 3月 2nd, 2012

私のような、チョロチョロと自転車に乗っているサンデーライダーにとっても、「坂」は少なからずワクワクするポイントです。

先月、小平から世田谷の成城まで自転車で行った際に立派な坂を見つけました。

町なかでは、まさに超Aランクの坂です。

見た目もいい。

坂の上からみると、遠くに富士山が見えていました。

その手前には多摩丘陵。

見えていませんが、さらにその手前には多摩川が流れています。

↓ ここでした。


大きな地図で見る

帰りは多摩川沿いのサイクリングロードをひた走りました。

こんな連凧も見ることができて、さわやかな週末を過ごせました。

どんどん多摩川を遡って、目的地の国立の大学へ。

往復55kmの小旅行となりました。

東京も、郊外では岩手とそう変わらない自転車ライフが送れますね。

盛岡バスセンター

金曜日, 2月 17th, 2012

盛岡市民、いや、岩手県民なら誰でも「盛岡バスセンター」を知っているだろう。

盛岡を中心に沿岸・県北・県南を結ぶターミナルだからだ。

同時に近郊路線バスの終着でもある。

盛岡駅よりも馴染みのあるという人も少なくない。

開業は1960年。世界は冷戦真っ只中であり、戦後15年目の年。

今や日本各地に「昭和」をテーマにした建物やお店が多い中、ここはそのままポンと昭和が残されている。

よくも平成24年までこのクオリティーを保ったものだと関心せざるを得ない。

もしかしたら、あえて現代化しなかったのだろうか、とさえ思ってしまう。

バスセンター内に入ると、ラーメンやらおでんやらの匂いが漂う。

冬はそこに石油ストーブの臭いも加わる。

下を見れば、薄汚れた黒いコンクリートが時代の流れを感じさせる。

一部の柱からは鉄筋も見えているというのに、去年の大地震を耐えぬいたのは驚きだ。

(ガラスが割れたままの箇所はあるが)

さらに店内に入れば、売り上げが心配になってしまうほどの時計屋さんが確認できる。

店主も売る気がなさそうだ。天井近くに置いてあるアナログテレビをずっと観ている。

(岩手など被災県のデジタル移行は延長中である)

周りを見渡すと、びっしりお店が詰まってはいるものの、買う人はそう多くはない。

珍味やらの乾物が多すぎるのである。

ところで、この盛岡バスセンター、いよいよ老朽化で激しいということで向こう数年で建て替えとの噂。

そんな噂は数年前から聞いているので、「石油が採掘できるのはあと40年」のような感じも受けないわけではないが、ここに入れば建て替えが必要なことはわかる。

何しろ、肝心のバスがもう入りきらないのである。

時刻表にではなく物理的にである。

50年前のバスの仕様で作られたバスレーンはいかにも狭い。

もはや敷地内で転回はできないようだ。

よく接触事故が起きないものだと感心するくらいのバスの密度。

あと、このバスセンターに何度お世話になるかわからないが、もし取り壊すと決まれば、有給を取ってでも必ず最後の雄姿を感じに行くと思う。

あの、ナチュラルな昭和感を感じる場所はもう少ないはずだし、何よりも感謝の気持ちを込めて最期を見届けたい。

ロビンソン神社

火曜日, 1月 3rd, 2012

スピッツの代表曲のひとつ「ロビンソン」。

私の住む小平市に、この曲に馴染みのある神社がある。

その名も「ロビンソン神社」。

実際の名前は「小平天神」。

草野マサムネがスピッツをはじめて間もないころ、青梅街道沿いにあるこの小さな神社でロビンソンの曲がインスパイアされたという。

ちなみに、ロビンソンという名前自体はタイのロビンソンデパートから取ったらしい。

この曲がスピッツの大ヒット曲となったこともあり、願をかけてしばらくは毎年小平天神へ初詣に行っていたというが、最近はどうなのだろう。

まあ、草野マサムネが行かなくても、ここは地元の人でたいへんな賑わいであった。

決して大きくない神社なので、100人も来ればすぐに行列となる。

せっかく行ったのだけど、風邪を引いてもつまらないので、境内には入って散歩だけした。

正月早々地震があったりしたが、今年は大きな災害が起きないことを願わずにはいられない。

「ロビンソン」のように、宇宙の風に乗れるよう、まずは自分の心は清く保っていきたい。

大学構内の放射線量

水曜日, 12月 28th, 2011

12月17日に買ったエステー社の空間放射線量測定器「エアカウンター」。

日々大学構内の線量を測っている。

鉄筋コンクリート造の部屋の中はおおむね 0.08μSv/h ということが分かった。

屋外の建物近くは 0.14μSv/h。

当然ながら,放射能物質は屋外から飛来するため屋内には少ない。

しかし,3月11日前の空間放射線量は0.05μSv/h 以下であったはずなので,室内の線量がそれよりも高いということは放射線が壁を透過したか放射能が入ってきている証拠である。

目に見えない放射線は,防ぎようが無いが放射能は可能な限り減らすことはできる。

特に,身近なところの掃除は大きな効果を生むと言われている。

まずは,大掃除を兼ねて家の中の掃除から行うのが良さそうである。

さて,現在居住している地域の線量はどの程度か知ることは,除染作業を行う上で参考になる情報である。

以下に,群馬大の早川由紀夫教授が作成した,放射線線量マップをリンクしている。

新しい測定情報も載っいるので,ぜひ参考にされたい。

早川由紀夫の火山ブログ

http://kipuka.blog70.fc2.com/

共通意識

木曜日, 12月 22nd, 2011

16年前,インターネットを使いはじめた。

当時,インターネットはパソコン通信と比較され,ネットワークの仕組みや提供されるサービスにどの様な違いがあるかを論じるパソコン雑誌が珍しくなかった。

日本語で読めるコンテンツは,まだまだパソコン通信の方が圧倒的に多く,インターネットのサイトは「イエローページ(URL集)」に載せることができるほどのものであった。

それから少し経った1997年になると,地域プロバイダは隆盛を極め,私が住んでいた岩手県の盛岡市でもいくつものプロバイダが登場した。

1プロバイダで 1.5Mbit/s という回線速度であったと記憶する(これを数百人で分け合う!)。

今の携帯電話よりも遅い通信速度である。

インターネット利用者数は人口比でおよそ7%,その90% が男性であったとされる(参考)。

また,インターネットで提供されるサービスは,「わたしのホームページ」等の静的コンテンツがほとんどで,一部CGIが使われていたが,簡単な掲示板や乱数を使った占い程度のものだった。

回線速度やPCの性能・プラグイン機能を考えれば,今のようなインタラクティブでリッチなサイトは実現できない状況である。

さらに,日本でインターネット利用者数が急増し出した1996~7年当時の状況は,一部のマニアな人達が使うツールであり,老若男女が使うメディアではなかった。

多くのインターネット利用者はパソコン通信から流れてきた「移民」だったのではないかと思われる。

そのため,パソコン通信を使いこなしてきたユーザーであれば,いわゆる「ネチケット」はユーザーの共通意識として理解されていた。

まるで,アメリカ開拓時代の「自分の身は自分で守る」が当然のように徹底されていた時代のように。

同時に,メディアとしてのツールは電子メールかせいぜい掲示板程度であるから,インターネット上で大きなトラブルになる確率は小さいものであった。

 

インターネットの成り立ち上,人間の性善説をベースにしたものである。

そもそも不正を検知する仕組みは備えておらず,あくまでも利用者のモラルがものを言う世界である。

そして,今はどうなったか。

誰もがモバイルで高速回線を利用し,生まれた時からインターネットを使ってきたデジタルネイティブ世代が大学生になった現在。

共通の「ネチケット」を備えてインターネットを利用していた時代はもはや歴史的出来事となったようだ。

Twitter・mixi・Facebook・モバゲーなどなど,魅力的でインタラクティブなサービスが大きな渦となってユーザーを飲み込んでいくインターネットの世界。

インターネットという仕組みはすでに空気のように存在は意識されることなく利用され,共通意識はいつのまにか希薄になった。

今では法律がその代替となった(不正アクセス禁止法)。

一方,仮想的にプライベート空間を演出されたサービスの中で過ちを犯していくインターネット利用者が後を絶たない。

所詮,インターネットは共通意識が必要なメディアなのである。

共通意識のない社会に共存も共栄もないのである。

そして,それを忘れた人たちの過ちが繰り返される。

ツイッ拓
http://twittaku.info/

ATAC2011「スイッチひとつが開く世界」の資料

火曜日, 12月 20th, 2011

ATAC2011で12月17日に私が担当したセッション「難病患者/重度障害者のコミュニケーション支援技術~スイッチひとつが開く世界~」の資料を公開いたします。

当日は幸いにも多くの方に来場いただき、資料が足りない事態となりました。

ここに、当日の資料をダウンロードできるようにしておきましたので、必要な方は自由に利用してください。

ATAC2011_SWITCH.pdf

ATAC2011セッションのご案内

金曜日, 12月 16th, 2011

本日から、ATAC2011が国立京都国際会館で開催されます。

ATAC2011
http://www.e-at.org/atac/2011_12/index.html

去年は一般発表のみ行いましたが、今年はNPO ICT救援隊にもお力を借りて、実習形式の講座を行います。

テーマは、「スイッチひとつが開く世界」。

ハーティーラダーと自作スイッチを使ってパソコン操作を行います。

ATACに参加され方はぜひ来室ください。

当日、配布予定のチラシ

以下に、アブストラクトを載せます。

【No.7-3-554】 重度肢体不自由の支援
参加者企画セッション〔活動紹介・報告〕

「難病患者/重度障害者のコミュニケーション支援技術 ~スイッチひとつが開く世界~」

本セミナーは,特にALSや筋ジストロフィー患者の支援者を対象にしたものである。病気が進行した場合でも,残存能力でPCの操作を行うことが可能である。 スイッチひとつで,ほぼすべてのPC操作が可能になる。これにより,わずかな残存筋力で文章を作成したり,ネットを閲覧したりすることが可能になる。患者が操作を効果的に行うには,支援者の適切な対応が必要である。本セミナーでは,スイッチひとつでPC操作を可能とする「ハーティーラダー」を用いた方法を紹介し,実習を通して実際の使い方を体験してもらう。実習においては,患者と同じ条件を想定し,参加者は原則としてスイッチひとつで操作を行う。また,スイッチの適用事例などを紹介し,今後の支援に生かしてもらう。

伊藤 史人(一橋大学)

技術の狭間に生きる人々

火曜日, 12月 13th, 2011

CPUはここ40年間ほどムーアの法則に従って性能向上を果たしている。

我々がポケットに入れているスマートフォンの性能は,30年前のコンピュータ(パソコン)の実に100万倍の性能を持つ。

ただし,これはあくまでもハードウェアの話である。

では,ソフトウェアはこの30年で100万倍も便利に使いやすくなったか。

おそらく,これらを定量評価できるようになったとしても100万倍の数値とはならないだろうが,ソフトウェアによって我々の生活にもたらした影響は極めて大きい。

これまで,ハードウェアとソフトウェアは進化は正のスパイラルを成してきたと言ってよい。

ところで,人間の体はあくまでもフィジカルなものであり,故障もすれば劣化もする。

生まれながらにしてこの社会で生きるには不都合な条件を抱えてきた場合もあるかも知れない。

一方,最近30年で,コンピュータを利用することで,いわゆるこれらの身体障害者を支援する装置が開発されてきた。

特にこの15年は,パソコンの高性能・高機能化を利用して,身体障害者のQOLを向上させる試みが盛んになってきた。

かつては,専用の高価な装置を使う以外になかったものが,安価なPCで代替できるようになったのである。

当然ながら,コンピュータを使うには何らかの入力装置が必要である。

もっとも単純な入力装置としては押しボタンがある。

現在ではソフトウェアの力によって,この押しボタンひとつでコンピュータが自由に使えるようになっている。

しかし,この押しボタンさえ打てない人々も存在している。

押しボタンひとつ押すことができれば,外界とあらゆるコミュニケーションが可能となるはずなのに,この小さいなボタンが押せない。

パラダイスへの扉を開く鍵となる小さな押しボタン。

ボタンを押せさえすれば,この30年で驚異的な進化を遂げたコンピュータを縦横無尽に駆使できるはずなのである。

実に単純なボタンを目の前に,押すことができずに佇む人々が存在する事実。

人工呼吸器の騒音のみが虚しく響く部屋の中で,決して可視化されない熱い想いを押し殺す日々。

そして,とうとう絶望する人々。

高度なコンピュータと単純なボタンひとつ。

技術の狭間に苦悩する人々が今日も生き,さらに生まれ続ける。

ATAC2011のコミュニケーション支援講座で使うPC達が出動準備中!
(ICT救助隊所有)

*ATAC2011は,12月17・18日に京都国際会館で開催される,障害者支援に関するカンファレンスです

 

月食を仰ぎ観る

日曜日, 12月 11th, 2011

日本時間2011年12月10日、11年振りの皆既月食となった。

私は、少しでも暗いところから見ようと、自転車に跨り見やすいところを求めて走りまわった。

幸い、雲ひとつ無く、ほぼ真上の角度であったため建物が邪魔で見えないということもなかった。

つまり、その辺の道でも見えたのであった。

寒い中、三日月のような月やぼんやり赤い月を堪能した。

そして、私は月を見るよりも、月を観る人々を見るのに興味を覚えた。

しばらく走って近くの繁華街である吉祥寺へ。

案の定、駅や飲み屋から出てきた人は、朝から話題のニュースとなっていた皆既月食を仰ぎ観ていた。

月食を見る人々2

「マジで~!」とか「何あれ~」、「普通に見えてんじゃん!」など反応は様々。

確かに、皆既日食に比べれば地味かもしれない。

光の回折により、月が真っ暗になることはないからだ。

それでも、普段、特段上を向いて歩くこともない人々も今日はみんなで楽しそうに空を観ている。

月食を見る人々1

寒い夜の街で人ごみを歩いている人々とも、共通した関心事があるということがほんのり嬉しいひと時であった。

互換性

火曜日, 9月 27th, 2011

昨今の与党と野党の非難の応酬は見るに堪えない惨状である。

野党はただひたすらに与党のアラを探して政局にし,何が何でも引きずり降ろそうとしている。

相手の足を引っ張る行為は相対的には自分を上位にするが,絶対的には両者とも下位へと落ち込ませてしまう結果となる。

実は,これは今に始まったことではなく,もはや日本民族の特性と言ってよいものかも知れない。

私は,この現象を戦時中の工業製の互換性の無さにみる。

戦時中,武器の多くは高度な機械製品のかたまりとなっていった。

機械は当然ながら要素として機械部品が必要である。

機械を構成する部品の中には,異なる機械間で融通が可能な場合もあり,それを部品の互換性という。

現在,ネジをはじめとして,エンジンのガスケットまでさまざまな機械部品が互換性を持っている。

当時,日本はその互換性に極めて脆弱な機械を量産していた。

一方,アメリカはメーカーが異なっても部品の互換性の高い機械を生み出していた。

戦場において傷ついた武器は常に部品の交換が必要になり,互換性の低い機械は自ずと稼働率が低くなる。

武器が稼働しない軍隊はもやは戦闘集団ではない。

その結果,負ける。

では,なぜ互換性のない機械が大量に生まれてしまったのか。

それは,メーカー間の無用な争いが原因となっていたからである。

自分たちだけがもっとも繁栄しようと,あえて他のメーカーの機械との共用部品を無くしたからである。

自分たちだけが勝ち残ろうと,わざわざ行っていたのである。

これでは,現場の兵隊たちはたまらない。

結果的には,日本の軍隊そのものの戦力が維持できなくなり,連合軍に圧倒されることとなった。

もちろん,戦力は数の理論があてあまる。

しかし,最前線においては両軍遭遇時には同等の戦力であっても,徐々に武器の稼働率の問題などから差が開いていく。

たった一つの部品が足りないだけで飛行機が動かないこともある。

それだけ互換性は重要なのである。

その互換性の無さはメーカー間の争いが生み出した,負の設計思想からのものであった。

政局が起きれば起きるほど日本の力は落ちていくのではないかと,戦時中に機械の互換性をあえて壊したメーカー間の愚かな争いを連想してしまう。

そして,日本が荒廃した歴史と重なって見えてしまうのである。